キャンプ(英: camping)は、保養、あるいは野外での休息などを目的とした、野外での宿泊行為である。露営、野営、宿営ともいう。何らの屋根もなく夜を過ごす場合でもキャンプという。英語では、日本語の「キャンプ」に当たる宿泊行為を指す言葉は camping であり、camp は「キャンプする土地」という意味になる。(以上ウィキペディアより)
平成25年7月27日
キャンプの効用
自然園の施設ガイドブックの冒頭に私は次の文章を書かせて頂いております。
キャンプは日常の暮らしから離れ、自然の中で自分と向き合う時間を一人でまた仲間と共に持つ、他に代えがたい貴重な経験です。キャンプは時に、人生の素晴らしさや大切な意義に気づくことのできるきっかけとなります。
キャンプ場は、野山に出かけていくキャンパーや、野生世界から豊かな感性を授かることの出来る子どもたちが、寝泊まりしながら、自然と向き合うことのできる拠点を提供しています。
キャンプ場は、野生世界と人間社会の境界上にありながら、過剰な危険を排した自然の公共空間です。たとえ細則が表示されていなくても、公園や公共の施設の使用と同じように、マナーを持って行動する場所です。キャンプ場を利用するマナーは難しいものではありません。
第一に、野生とのふれあいの目的のために、
「静寂が必要な時間には、静かにすごす」
第二に、立つ鳥跡を濁さずの格言があるごとく、
自然の中では「使用後は使用前の状態に現状復帰を行う」
この2点が利用者の基本的なマナーです。
人生を心から豊かなにしてくれるキャンプ活動を、友人や家族とともに次の世代へ気高いマナーと共に継承していきましょう。
今回は、今の日本の充足した「サービス社会」からしたら、ちょっと異端児な、「セルフサービス」が基本のキャンプという視点から、キャンプ活動の持つ意外な効用について考えてみたいと思います。
そうなのです、キャンプはセルフサービスが基本です。
キャンプ場は、場所を提供するだけであとはご自分でどうぞ☆ヘルプユアセルフ♪というスタンスの空間です。
サービス慣れした現代日本では、このキャンプ場のスタンスがなかなかご理解されない場合もあります。それぐらい日本は過剰なサービス漬け社会であると言えましょう。
幼少期からのサービス慣れが「良き消費者」教育につながるとさえ考えられています。
親の姿勢を見て、子どももまたお金さえ払えば、「王子様」「お姫様」扱いを受けることに慣れてしまいます。これは後々大変な勘違いの元になります。悲劇の始まりです。
わずかな年月を経て、大多数の日本の子どもたちは残念にも?可哀想なことにも!大人になると、働かざるを得ない階級だったことに気付かされる時が来ます。そう、「私は王子様でもお姫様の身分でもなかった。私にこんな酷い勘違いをさせた親は許せない!残酷な仕打ちだわ!」ということになるのです。この衝撃の事実はなかなかショックなようで、新入社員たちを年に何千人も一気に出社拒否に突入させます。
当たり前です、会社も上司もサービスを提供してくれる機関ではありません。自らの労力を提供して対価を得させてもらうのは、どう解釈してもサービスを提供しなければならない側です。お客様はもちろんお客様ですが、同僚や上司もむしろお客様です。下僕ではありません。「どうして私をお客様扱いしてくれないの?」と、みんな激おこプンプン!!状態になってしまうのですが。そうして親と共に後先考えず労働基準監督署や訴訟に走る人も多いのです。(うちの会社でも現状認識が出来る前は、このような親子に困らせられることもありました)
サービスを受ける側からサービスを提供する側への短時間におけるまるで180度の立場の転換は、やっぱりショックが激しすぎると思います。彼ら彼女らのメンタル的には、お城から追放されていきなり奴隷市場という感覚に近いかも知れません。
私も3人の子育てをしている親です。
家内と共に、うちは王子様お姫様教育はしない!!と確認しあっています。
そこでです、子どもたちをしていきなりサービスを提供する側にまわす前に、中間を経験させてあげることが如何に大切か、親は認識しておいた方が子どものため、自分のためではないでしょうか。サービスを受ける側でもサービスを提供する側でもない、このニュートラルで自由な立場を経験できるのが、まさにキャンプ生活です!!
私たちは、なのでサービススタッフではありません。
サービス漬けに慣れている人には、かなり不親切な、なっていないスタッフでしょうが、これでいいのです。
まずは、ご自分でなんとかして下さい。
そのためにキャンプ場はあるのです。キャンプの意義があるのです。
セルフサービスを楽しんでください。
それはあなたを自由にします。
あなたは、この時間、サービス社会から逃れられるのです。
自分を見つめ、自由な時間を楽しんだら、今度はサービスを提供する側に回りたくなるかも知れません。人のために、社会の為に何か出来ていると感じることは、社会を構成する一員として、とても大事なことですから。