2012年2月8日水曜日

自然園物語集 メタセコイアのお母さんの話(その4)

自然園の創設者 三浦信定が初めてメタセコイアを譲り受けたのは1952年の冬と考えられます。
今から約60年前のお話・・

秋の落葉後、葉のついていない状態の5本のメタセコイアの苗木は、
郡上の森林組合を経由して譲り受けたと聞きます。

当時、どんな木になるかわからないので 村の人々はあまり関心を持たなかったようでした。

ただ、村長をしたり村人たちのために精を出して働くことを喜びとしていた三浦信定は、こう考えたそうだということが、後に人々に語り継がれています。

「私たちのような田舎の人間にできる
せめてものことは

大きな木を育てたり 心が安らぐ地を人手をかけて作って
ここを訪れてくれる人々に 涼しい木陰を提供して
喜んでもらうことだ

都会の大資本は何でもすぐに作ってしまう
大きな建物も 町を作ることさえも お金を使えばわけのないことだ

けれども 大きな木というのは お金の力だけで すぐに作ることができない

自然のめぐみと それに 時間がかかる事業なのだ
時間のかかる事業は 短期的に利益を得ようとする企業には向かない

企業は利益追求を第一として
短期間で儲けることを優先するだろう

木を育てるには 一人の人の一生だけですむことではない 
世代を越えて 木を育てる意思が必要になるのだ

それは企業の目的とは合致しにくい

経済がどんなに進展して 文明が発達しても
人にはやはり自然が必要だ
安らぐ場所を必要ともするだろう

私が私の息子たちと作る キャンプ場は
お金儲けを第一としない

それよりも 何よりも 将来の人に喜んでもらえるよう
それを第一に考えて コツコツと作っていくのだ 

この太古の地球に繁栄していたメタセコイアという木は
早く大きくなる木だと聞くから

私たちは この木を大切に育てて
メタセコイアの森を作って行こう 
そうして 人々に安らぎの場を提供して喜んでもらおう

何代も続く事業を こうして私は取り組もうと思ったのだ」


そうして1953年春、園内に植えられたメタセコイアの苗木から
一斉に新らしい芽が吹きました。


メタセコイアは「人」とずっと一緒に生きてきました
これからも 私たちの生きていく姿を 暖かく見守ってくれているでしょう

・・雪の降る中
園内に生えている メタセコイアのお母さんは
私に こんな 物語を してくれた というわけです

(メタセコイアのお母さんのお話 おわり)